ノンストップいぐざむ

細かいことは気にしないで生きています。

欲望の露出

私にはタケオという彼氏がいる。

週末はいつも、私の最寄り駅からほど近いファミリーレストランで夕食を共にするのが彼との習慣で、この日もいつも通り、彼とこのレストランで過ごしていた。

それはいつも通りの週末デートだったが、この日いつもと違ったのは、彼が結婚について話を切り出してきたことだ。

「俺たち、そろそろ結婚しないか?」

 

彼は優しい男だった。こんな男が自分の旦那だったら、きっと毎日幸せだろうなと私は常々思っていた。いつも私の体調を気遣ってくれたし、二人で出かけた後は、夜道は危ないからと必ず家まで送り届けてくれていた。

家まで送り届ける、なんていうと少しキザに思うかもしれないが、実際問題として、駅から私の家までは暗がりが多く、不審者の出没情報も多かった。女性が一人で夜道を歩くには、少し危険だ。ついこの間も、黒いコートに身を包んだ露出狂が出たと地域でニュースになったばかりだ。だから彼は、私と会うときは必ず私を家まで送り届けてくれていた。

 

一見なんの問題もないように見える彼との結婚だが、気になる点が一つあった。お金の問題だ。

彼の給料はお世辞にも高い方とは言えず、金銭的な面で大いに不安を感じてしまう。もう私たちもいい年だというのに、未だに学生が通っているようなファミリーレストランでデートしているのだから、”お察し”である。

私も安月給で働いている身だから人のことは言えないが、だからこそ配偶者にはある程度の金額を稼いで欲しいというのが正直なところ。

 

「結婚って......お金はどうするの?」

手に持っていたコーヒーカップをテーブルに置き、まっすぐ彼を見た。改まって彼を見ると、如何にもうだつが上がらない冴えないサラリーマンといった様相だと私は思った。仕事着のスーツはすっかりくたびれていてシワも目立つ。まともな稼ぎの男性だったら、とっくに新調しているだろう。

 

「確かに給料は少ないけど、俺たちなら乗り越えていけると思うんだ」

いつもは穏やかな気持ちにさせてくれる彼の笑顔が、今は私を不安にさせていた。自信満々な彼の態度に、私は苛立ちを隠せなかった。

 

「そんな簡単なことじゃない!」

自分が思いのほか大きな声を出してしまい、周囲の視線を集めてしまったことに少し恥ずかしさを感じたが、もうそんなことは気にしていられなかった。

「私だって、タケオと結婚したいよ!だけど......やっぱり不安だよ。タケオ、貯金だって全然ないじゃない!」

自然と涙が溢れた。

 

「大丈夫だって、ほら――」

「大丈夫じゃない!」

今まで彼の前では出したことがないような大きな声で泣きながら叫んだ私は、荷物を手に取り、たまらずファミリーレストランを飛び出した。

 

後ろから彼の呼ぶ声が聞こえるが、振り返る余裕は今の私にはなかった。彼の声から逃げるようにして、私は夜道へと駆け出して行った。

私は彼のことが大好きだ。彼のいない生活というのはもはや考えられないし、彼と過ごす時間はかけがえのない時間だった。私だって、彼との結婚は前向きに考えていたつもりだ。だからこそ、楽観的な彼の姿勢が許せなかった。私は私なりに真剣に考えていたのに。

 

走り続けて呼吸が乱れる。息を吸うのも吐くのも苦しくて仕方なかったが、苛立ちのエネルギーを発散させる出口が他になかった私は、身体中の痛みをおしてなお走り続ける他なく、ひたすら足を前へ前へと動かした。

 

どのくらい走っただろう。ここはどこ?

湧き上がる苛立ちも、体力の限界には勝てない。ようやく足を止め、すっかり乱れた呼吸を整える。息の苦しさよりも、お腹の痛みのほうが深刻だった。何かのはずみで、すぐにでも胃の中のものをすべて吐き出せそうだ。

しばらくトボトボと重い足を引きずって歩くと、少し冷静になったので、辺りを見回してみた。目立つものは何もない、ごく普通の住宅街だった。時刻はまだ22時代だったが、人の気配の少ないこの街では、辺りはすでに深夜の様相だ。この住宅街は比較的高齢の世帯が多いからだろうか、家の明かりもそう多くはなく、道を照らす小さな街灯たちが、私の視界と、夜の闇との境界を曖昧にしていた。

 

夜の冷たさに頭が冷え、呼吸が整ったからだろうか、さっきまでは感じられなかったが、前方の暗闇の中で何かの気配を感じた。暗くて目でははっきりとはわからないが、コツ......コツ......と乾いた音がかすかに聞こえる。

確実にそこに、”何か”がいる。

 

ひょっとしてお化け……!?いや、そんなのいるはずない。そうよ誰か人が......。

そこで私は大切なことに気が付いた。

こんな人気のない場所で、こんな時間に街のほうに向かって足音なんかするわけない。そしてこの辺りは確か、不審者の目撃情報があった場所......

 

前方から向かってくる人影は、変わらず不気味な足音を立てながら、街灯が照らす光の輪の中に足を踏み入れて、私に姿を現した。

嫌な予感が的中してしまった。

中年の男性。ひざ下まで伸びた丈の長いロングコートを着ている。真っ黒なそのロングコートは、その下に見えている肌色の部分との境をくっきりと目立たせていた。

コートの下が肌色なのは、ベージュのズボンをはいているからではない。ズボンを”履いていない”からだ。

 

私は恐怖に息をのんだ。この様子は完全に露出狂だ。

露出されるだけなら直接的な害はない、と思うかもしれないが、目の前にいる不審者が露出行為だけで満足するとは限らない。露出だけにとどまらず、なにか乱暴をされるかもしれない。

──逃げよう。

そう思ったが、足がすくんで動かなかった。

 

露出狂なんて逃げればいいだけでしょ、なんて考えがいかに的外れか、実際に体験してみるとよくわかる。相手は男性、逃げたところで追いつかれる。私は目の前の男性が、ただ露出行為に満足して去っていくのを期待して祈るしかなかった。

 

「ひっひっひ、お姉さん、ちょいとこいつを見てくれないかなぁ?」

男性は、血走った目でぎょろりとこちらをなめまわすように見ながら、両手でつかんだコートに力を入れた。

コートのたなびくバサバサという音と共に、男性はコートを両手いっぱいに広げながら、その下に潜むものを見せつけてきた。

 

(タケオ、助けて──!)

 

見たくないけど、目を離したら何をされるかわからない。私は恐怖におびえながら、男性に目を向けた。

そこで私の目に入ってきたのは、コートの裏地の部分にびっしりと張り付けられた札束だった。

 

え?

 

両手で持って、ようやく手に収まるくらいの厚みの一万円札の束が大量に張り付けられている。

股間の部分には、最後のページが開かれた通帳が貼ってあるようだった。

通帳の預金を見ると、ゼロがいくつも並んでいる。

 

「突然ですがお姉さん、僕と結婚しませんか?」

 

 

そんな彼が、今では私の旦那です。

 

─完─