ノンストップいぐざむ

細かいことは気にしないで生きています。

いぐざむ「

 

文章を書くことはとても面白いことだと思う。

自分の脳みそと、ほんの少しの資材があれば作れてしまうから。

 

資材といってもなんでも構わない。紙とペンがあればそれだけで作れてしまうし、コンピューターが発達した現代では、コンピューターと電力があれば、あとはほぼノーコストで文章を作ることができる。

それだけ低コストな代物なのに、内容次第では莫大な情報量を込めることができるなんて

やっぱり文章は面白いと思う。

 

 

文章と一口にいっても、いろいろな種類がある。

小説、広告、日記、台本etc......

文章を書くときは、自分がなんの種類の文章を書くのか意識しないと、読み手に情報が伝わりにくい文章になってしまうので注意が必要だ。

 

日記が書きたいだけなのに、やたらと背景や登場人物の心理描写に凝ってしまっていては、日記としては読めたものではなくなってしまう(それはそれで読みごたえがありそうではあるが)

やはり文章を書くときは、それがどんな内容なのかを考え、より伝わりやすい書き方で書くことが重要だと言えそうだ。

 

 

 

さて、ではこの文章は一体なんの種類の文章だろうか。

どことなく小説チックなような気もするが、背景や人物の描写がなく、どこの誰なのかもわからない。

もしこれが小説なら、そろそろ今の状況や登場人物の心情を説明する描写があってもいいような気がするし、ここまで地の文が続いてくると、読み手にも飽きがくると考え

 

「ふぅ……まぁこんなもんかな」

青年はそう呟くと、自室のパソコンを閉じ、すっかりぬるくなってしまったコーヒーを一口啜った。

 

などと強引にセリフを入れてきそうなものだが、いつまで経ってもそんな描写が起こる気配もない。

その考えで行くと、この文章はやはり小説ではないのだろう。

 

 

では日記か?

これは可能性が高い。そもそもこの文章が載っているのはいぐざむが運営している「Nonstopいぐざむ」というブログであり、ブログといえば一般的には日記などの雑記を綴るためものだからだ。

だが日記というにはあまりにも説明的すぎるし、扱うテーマも日常とはかけ離れている。これでは日記とはいいがたい。

 

 

 

いよいよ分からなくなってきた。

この文章は一体なんの種類の文章なのだろうか

 

そもそもこの文章が書かれた目的とはなんなのだろうか

 

なにを伝えるための文章なのだろうか

 

 

わからない……

 

 

文章を理解するためには、書いてある内容を解読するしかないというのに

肝心の文章の中にそれが書かれていないのでは、理解のしようがないではないか。

 

 

私は一体どうすればいいのだろうか……

 

 

私は……私は………

 

 

 

 

 

 

 

 

なんていうてますけどもね」

 

 

 

相方「って前フリ長いわ!!もう終わりの時間なっとるやんけ!!いい加減にしろ!!」

 

いぐざむ&相方「どうも、ありがとうございましたー!!!」

 

 

 

 

アナウンス「以上、漫才コンビ『いぐざむ&相方』さんの漫才でした。どうもありがとうございました。」

 

 

―完―

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