ノンストップいぐざむ

細かいことは気にしないで生きています。

月が綺麗ですね

 

「月が綺麗ですね」

 

彼は確かに、私の目を見てそう言った。

月明かりに照らされた私の顔が、みるみるうちに赤くなっていったのは、今夜が雲一つない晴天で、その上ちょうど満月で、何にも遮られることなく飛び込んできた月の光が、私の顔を照らしすぎたせいに違いなかった。

私の顔が熱くなってきたのも、ついさっきまでやっていた部活の練習に、ちょっとばかり気合を入れすぎたせいだ。

 

夏目漱石が「I Love You」を「月が綺麗ですね」と翻訳したというのは有名な話だ。今時高校生にもなって、この逸話を知らない人は、きっとあんまり多くない。

ましてや、すっかり暗くなった学校の中庭に、部活終わりの私をわざわざ呼び出して、話がある、なんて言ってこんな話を切り出したのだから、彼がこの言葉をそういう意味合いで言ったことは明白だった。

 

 

「確かに、綺麗かもしれないですね」

 

突然あらわれたラブロマンスの気配に強張った身体では、当たり障りのない返しをするのが精いっぱいで、それってどういうつもりで言ってるの?なんて、本当に言いたい言葉はとても出せそうになく、私はちょっと俯きながら、力なくそう答えるしかなかった。

 

 

「えぇ、本当に綺麗です。今日もあなたに見惚れてしまいました」

 

彼は、少しも臆することなく、私の目をみてそう言った。

なんてことを言うんだろう。産まれてこの方、男性にこんなことを言われたことがなかった私はかなり参ってしまった。

彼とはクラスが同じで、部活も同じ部活に入っている。勉強にも部活にも、いつも全力で取り組む彼の姿は素敵だなと前々から思っていたし、見た目も、そんなに悪くない。

何よりも、私の目を見て真剣なまなざしで、こんなにもドラマチックな愛の言葉を伝える彼に、私はすっかり惹かれてしまっていた。

どう返事をしようか、考えあぐねていると、先に彼のほうが口を開いた。

 

 

「ところで、どうやったらあんなに綺麗な突きが打てるんですか?」

 

「え?」

 

意外な言葉にあっけに取られる私に、さらに彼が付け加えて言った。

 

「あんなに綺麗な突きが打てる人、他に見たことがないです。その秘密が知りたくて今日は呼び出したんです。どうやってるんですか?」

 

 

秋の夜風は冷たくて心地よく、私の火照った顔を冷ますのには十分だった。

空に浮かぶ月にはいつの間にか大きな雲がかかり、私の顔に影を落としている。

私は、肩に背負った竹刀のケースの紐を固く握って、空に浮かんだ大きな雲の、さっきまで月が見えていた辺りをじっと見つめた。

 

─完─