妻が"恋のトライアングル"なるものを買って帰ってきた。
近頃は浮かない顔ばかりしていた妻だったが、今日は珍しく上機嫌だ。帰宅して早々、品物が入った手提げ袋に手を付けている。
恋愛物の映画か何かだろうか?アクション映画好きの妻にしては珍しいチョイスだと思いつつ、取り出された品物を見てみると、それは映画が記録されたディスクではなく、三角形に折り曲げられた細長い銀色の棒だった。
「みて、これが恋のトライアングルよ」
そこには子供の頃に音楽の授業で叩いた、あのトライアングルの姿があった。トライアングルって、楽器のトライアングルか......
「なーんだ楽器か、と思ってるでしょう。これはただのトライアングルじゃないの。魔法のトライアングルなのよ」
中身を取り出し、空っぽになった外箱を大切そうにテーブルの端に置きながら、誇らしげな顔で妻はそう言った。
「魔法のトライアングル?」
さぞ特別な音色がするのだろうか、みたところ普通のトライアングルとなんら変わりはないが......
「このトライアングルはね、叩くと恋を呼んでくれるの」
私は怪訝な表情をして見せた。なるほど、スピリチュアルの類か。あるいはそういうおまじないが流行っているのかもしれない。
チーン、という軽快な音色が部屋中に広がった。簡素な作りの楽器だが、音色はなかなか心地が良かった。
夢中でトライアングルを鳴らす無邪気な妻の姿は、もうすぐ40になるいいトシの女ではなく、恋に花咲くうら若い少女を思わせた。こんなに嬉しそうな妻の姿を見るのはどのくらいぶりだろうか。結婚して15年になる妻との関係は、近頃あまりうまく行っていなかった。
今でこそ、くたびれた中年夫婦といった様相の二人だったが、思い返せば、若い頃はもっとロマンスにあふれていた。デートの待ち合わせ場所に、私を待つ妻の姿を見つけただけで、胸が高鳴った物だ。
それが今ではどうだ。当時の高揚した気持ちなど見る影もなくなってしまった。
楽器で遊ぶ妻の横顔は、当時と何も変わっていなかった。顔にシワこそ刻まれているものの、私が恋した女の姿がそこにあった。
私はふと思い立ち、おもむろに妻に近づき、抱き寄せてキスをした。
驚いた妻の手から零れ落ちたトライアングルは床に落ちて、ガチンと鈍く鋭い音を一声上げたあと、完全に沈黙した。
先ほどの心地よい音色とはうって変わって不穏な感じのする音色だったが、妻の動揺を、感触だけでなく耳でも感じられたようで、私にはむしろ心地よかった。
恋を呼ぶ魔法のトライアングルなど、くだらない。そう思っていたが、なるほど確かにこのトライアングルは恋を呼ぶのかもしれない。
妻と、数年ぶりの充実した夜を過ごした後、スピリチュアルもなかなか馬鹿にできないものだな、と私は思った。
後日、仕事を早めに切り上げた私は、帰りしなに花屋に寄って、妻の好きな花を詰めこんだ花束を持ち帰った。
あのトライアングルがうちに来てから、私たち夫婦の結婚生活は、すっかり変わってしまったのかもしれない。
家に到着し、片手に抱えた花束をかばいながら、もう片方の手で家のドアを開いた。いつもよりもったいぶって、ゆっくりと開いた扉からは、暖かで穏やかな空気が流れ込んでいた。
「帰ったよ」
気恥しさに少し戸惑いつつ、声を出したが返事はなかった。おかしいな、この時間なら妻は家に居るはずなのに……
居間に入り、妻の姿を探す。
どれだけ探せども妻の姿はなかったが、代わりに、テーブルに置かれた妻の置手紙を見つけた。
「恋人が出来ました。ここから出ていきます。連絡しないでください。」
なるほど、確かにあのトライアングルは、正真正銘、恋を呼ぶトライアングルだったというわけだ。
─完─