生き地獄という言葉がある。
あまりそういうアングラな世界と縁がない平和な生活を送ってきたので、どんな様相だかいまいち想像がつかないのだが、まぁ地獄というのだから相当苦しいのだろう。
ロシアのオタクとドイツのオタクの間に入って、”俺とお前、どちらがあずにゃんを嫁にもらうべきか大論争”の通訳をさせられるのと同等か、それ以上の苦しみかもしれない。
ロシア語もドイツ語もわからなくてよかったと心から思う。
地獄、というには大げさかもしれないが、自分の人生にも、どうしようもない苦しみというものがこの先待っているのではないだろうか、という不安がある。
おそらく誰でも同じような不安を抱えてそれでもなお逞しく生きているのだと思うが、みんなもそうだからといって、自分も同じ苦痛に耐えらえるとは限らないので何も安心できない。
もしも俺が「ゴリゴリマッチョ育成クラブ」なるものに入会してしまい、そこで課せられているスーパーきつきつトレーニングに勤しんだとしても、俺はモノの数秒で根を上げギブアップし、コカ・コーラを片手に逃避行することになるのは明らかだ。
だがそこでトレーニングに根を上げている俺をみて、コーチはおそらくこういうだろう
「辛いのはお前だけじゃない!みんな苦しいんだ!!」と。
いや、その理屈はおかしい。
なぜならその「ゴリゴリマッチョ育成クラブ」でトレーニングしている”みんな”は、総じて俺よりマッチョなのだ。
すでにマッチョなやつと、現時点でガリガリなやつ。同じトレーニングでも辛さが違うのは当たり前のことじゃないか。
前提条件が違う以上、他が耐えているのだからお前も~というのは明らかに理屈が通らない。
これが理科の実験なら、でんじろう先生だって黙っていないはずだ。
俺は社会のことがよくわからないから想像の域を出ないが、これと同じようなことが社会でもおそらく起きている。
社会で生き抜けるだけの耐性を持っている奴が、俺だって苦しいが歯を食いしばって耐えているんだ!と主張するのはいいが、前提条件にバラつきがあるのを忘れてはいけない。
これまでに、社会でろくな負荷を受けることもなくただフラフラと年齢だけ重ねたやつが、年相応にきちんと頑張ってきた奴と同じ耐久力を持っているわけがないのだ。
じゃあそんな耐久力なし男くんはどうすればいいのかというと、てんでさっぱりわからない。
どうしたらいいんだ。
どうしようもないんじゃなかろうか。
そうした先の将来で待っているのが、おそらく生き地獄というものなのだろう。
まぁその程度で地獄だなんて笑わせるぜ!とそのスジの人には言われるのかもしれないが、それこそさっきの耐久力の話をもう一度読み直して欲しい。
人によっちゃあぬるま湯かもしれないが、俺にとっては灼熱地獄なのだ。
そんな地獄の境地で生きていく方法などとても見つかりそうもないが、どんな状況だって、心の持ちよう次第でどうにでもなるものだ。
うわ~~もうおしまいだ~~と悲観するのではなく、せめて、せめて明るく振舞えば、なにか希望が見えてくるかもしれない。
というわけでもしも俺が生き地獄に落ちてしまった暁には、好奇心で目をギラギラさせながら
「へぇ~!ここが生き地獄かぁ~~!!!」
と言って、元気よくこめかみをピストルで撃ち抜こうと思う。
地獄の沙汰も金次第というが、個人的には金よりもピストルである。
日本ではピストルの所持は違法だが、そこはすでに地獄なのでなんとか工面できると思いたい。
─完─